国会議事録に見る米軍駐留時代の大阪市立大学 米軍接収時代その3
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(1954年7月15日) 国会議事録検索システムの検索結果からダウンロード、その一部を抜粋・編集して掲載。 誤字・脱字は、ダウンロードした文書のままで、上記表題は本サイトによる。 (本サイトによる前略) ○委員長(堀末治君) それじや本件はこの程度で打切りまして、次の議題に入りたいと存じます。 先ず教育施設の接収問題を議題といたします。接収未解除となつております教育施設の一般状況について文部当局から御説明を願います。 ○荒木正三郎君 今委員長がお話になつたように教育施設ですね、まだ未解除のものについて御説明願うと共に、特に大阪市立大学の件については詳細に御説明願いたいと思います。 ○説明員(近藤直人君) それでは接収校舎の状況につきまして御説明申上げます。 学校施設の接収につきまして私ども非常に関心を持つておりますが、殊にこの文部委員会におきましても学校施設の確保に関する決議を頂いておりまして、一日も早く学校施設が原状に回復いたしますよう我々努力して参つて来たのでございますが、今日までのところ、接収施設が四十八件ございましたが、解除をされましたのが三十一件で、未解除になつておりますのは十七件でございますが、なお十七件の未解除のうちに、一部解除のものを包含してございますが、只今申上げましたように接収されましたのが四十八件、うち解除になりましたのが三十一件、未解除のものが十七件、そのうちに一部解除のものを含んでおります。 なおそのほか社会教育施設関係について申上げますと、接収になりましたものが二十四件、そのうち解除になりましたのが十九件、未解除のものが五件でございます。接収になりました建物の校舎のうち、これを大学別にいたしますると、国立大学が接収になりましたのが十一件、解除九件、未解除二件、公立大学が接収になりましたのが三件、解除二件、未解除一件、この未解除一件のものが只今お話ございました大阪の市立大学に該当するものでございます。 それから私立大学では接収になりましたのが五件、解除が三件、未解除二件、旧専門学校といたしまして接収になりましたのが一件、未解除一件、 それから高等学校以下の公立学校でございますが、これは接収になりましたのが二十件、解除が十三件、未解除が七件、同じく高等学校以下の私立学校でありまするが、これの接収が八件、解除が四件、未解除四件というような現状でございます。 接収の関係につきましては、只今その関係の事務は外務省から、調達庁のほうに権限が移されておりまするので、昨年の暮から変りましたので、私どもといたしましては、絶えず調達庁のほうと連絡をとりまして、接収の解除に努力をいたしております。 以上が大体只今までの学校施設の接収の状況でございますが、極く簡単でございますが、只今申上げた通りであります。 それから続きまして大阪市立大学につきまして御説明申上げます。お手許に資料を差上げてございますが、それによりまして御説明申上げたいと存じます。大阪市立大学の接収の経過でございますが、これは昭和二十年の十月に接収になりまして、元の大阪商科大学の施設の全部が接収になりました。土地が五万三千坪、建物が七千六百坪余り、これは駐留軍といたしまして兵舎に使用する目的を以て接収したのでございます。これは一時使用ではなしに、無期限使用ということで当初接収されましたのでございます。その用途といたしまして、兵舎ではございまするが、朝鮮事変以後今年の初めまでは病院としてこれを使用しております。先方が病院として使用する場合につきましては、日本側といたしましても相当の考慮を払うというような取極がございまして、朝鮮事変以来、本年の初め頃までは病院として使つておりますが、本年の六月以降はこれを海兵隊の兵舎として使用してございます。それでそこに書いてございますように、この接収の解除につきまして今日まで努力を続けて参つておりますが、たしか昭和二十七年の八月に一部解除になりまして、建物が約半分解除になりました。土地はまだ相当ございますが、これによつて大学側としても相当救済されたのでございますが、まだ建物が若干残つておりますので、なおこの残つておる分につきまして、今後とも特調を通じまして、解除方を申請いたしておる現状でございます。 以上概略御説明申上げました。 ○荒木正三郎君 今の説明によると、まだ相当数学校施設が未解除になつているという点がありますが、特に大阪市立大学の分については、日米合同委員会でどういう折衝が行われているのか、その折衝の経過を一つ御説明願いたい。 ○説明員(松木豊馬君) 申上げます。大阪商大の接収使用の解除要求につきましては、只今文部省の近藤管理局長からお話になりましたが、それに引続きましてもう少し詳しく申上げますと、実は合同委員会で頻繁にアメリカ側と解除につきまして交渉を続けて参つたのでありまして、現存もまだその交渉が続いておるわけでございます。 初めから申上げますと、二十八年の二月に第四十二回の合同委員会で野球場の施設になつております七千八百坪の解除要求をいたしました。ところがこれにつきましては、日本全国における病院施設の討議の際に一緒に討議しようということが二十八年の四月にきまりました。それから三番目は二十八年の八月になりまして先方から、この野球場は軍の唯一の訓練場に使つておるから、今すぐは解除がむずかしいということがございました。更に二十八年の九月になりまして、六十八回の合同委員会で日本側の要求を了承して参りました。更に訓練場に隣しております一部の土地も日本側で返還して欲しいので、更に考慮をしてもらいたいということを申入れております。引続きまして二十八年の十一月の十九日になりまして、七十八回の合同委員会で向う側から日本側の要求に対しまして回答せられましたのは、やはりその場所一帯は軍の訓練と合せてレクリエ―シヨンの使用に当てておるので、他に使用すべき土地もないので、今すぐは返還がむずかしい、こういつたような経緯を辿りまして、それから更に今年の五月になりまして、第九十回の合同委員会で、先方の使用状態が病院施設に使つておると言うけれども、非常にベツド数が空いてるようだ、余り使用しなければ日本政府としては是非返還して欲しいということを更に強く申入れをいたしまして、従来からの要求を続けたのであります。そういうふうにいたしまして二十九年の、今年の五月二十日の九十一回の合同委員会でも更に問題を続けまして、非常にここの商大の問題は重要であるからして日本側の要望を是非入れてもらいたいというふうに合同委員会でやつたのでありますが、そのときは結論に達しておりませんので、越えまして、この六月になりまして、九十二回目の合同委員会で、軍側から三十年の十月一日までは軍が是非使う必要があるということと、返還するのはそれまでに考える、今必要なのは将校が百人と、下士官兵が千五百人入れるのに是非必要であるから、今はどうも日本の要求を入れかねるということでありました。それで大月の十三日になりまして、あそこの学校の、先ほど管理局長から申されました二十七年の八月に一部返還を受けましたが、立地条件というものが学校と軍とくつ付いて、金網の垣根一重で隔つておるような関係でございまして、条件が非常に悪いということから、部分的にも改善を是非やりたいということを合同委員会に申入れましたところ、合同委員会では調達庁でやつております施設特別委員会にかけて、その点を検討しようということに相成つております。そこで施設特別委員会におきましては、学校生徒の出入口の部分、即ち学校の正規の門の所が非常に軍と学生との接触が多いということ、それから以前に接収の解除を受けました残りの部分が実は今使つておりまする学校のすぐ正面に当るところに突き出たように残つておりまして、そこのすぐきわを学生が通らなければならんというような状態から、そこの部分の取り払いといいますか、移転を是非やつてもらいたい。もう一つは、丁度今使つております本館の裏側の所が非常に条件が悪いので、軍の施設と三尺ばかりでくつ付いておるということからうまくないので、そこをこつちが拡げて使えるように少し余裕を持たしてもらいたいといつたようないろいろな点を挙げまして、現在正式に施設特別委員会でアメリカ側に申入れつまして、現に駐留軍側はその要求を執行しつつあるようでございますが、正式にはこれをどうするという返事は今軍の内部で検討いたしておるような状態でございます。 二十七年の八月から以降の大体の向う側との折衝の経過を簡単に申述べました次第でございます。 ○荒木正三郎君 今の説明の中で、三十年の十月というと来年の秋ということですが、三十年の十月一日にはこれは必ず仮すと、こういうふうに説明しているわけなんですか。 ○説明員(松木豊馬君) 軍が正式に申しておりますのは、三十年の十月一日までは軍のほうが是非使わなければならんのだということを申しておるのでございます。 ○荒木正三郎君 そうすると、必ずしもその期限が来れば返すというふうには言つておらないのですか。そこのところですね。 ○説明員(松木豊馬君) その時期は、実は会同委員会で明確にしてもらわなければならんということで、口頭表示の申入れはしておりますが、何月何日返すということの意思表示はまだなされておらないわけでございます。 ○荒木正三郎君 この市立大学の件については、今の実情を文部省も調達庁のほうも、これはかなり詳細に御存じだと思うのです。で、最近は非常にこれが表面化しております。というのは、この間まで病院としていわゆる朝鮮事変で怪我をした人の手当をしていた。ところが六月から海兵隊が代りに入つて来た。この問題を契機として非常に事情は異なつて来ておるわけなんです。特に教育施設が今日なお駐留軍によつて接収されておるということについて非常に強い不満があるわけです。その上に従来の話合いでは、大体まあ病院として使わなくなれば返すんだというふうな意向があつた。ところが病院がなくなつても代りに海兵隊が入つて来る。それにつれていわゆる風紀上も妙な問題が起つて来ている。そういうことで大阪市の学校当局だけでなしに、市民としてもこれは是非返してもらわなければ困るというので、非常な運動が今猛烈に起つております。これは早急に解決をしないと私は無用にいろいろな問題が起つて来るのじやないかというふうに考えておるわけなんです。そういう意味であいまいな形でこのまま置いておくことはできないのじやないか。特に当文部委員会としては、月島小学校を初め幾多の教育施設については、その接収解除に非常な努力をして来られた。だから私は当文部委員会としても、この問題については党派の別なしに一つ御努力を願うと共に、政府のほうの側としても、いろいろ困難な事情があると思いますが、やはり大きな立場からいつて、教育施設、特に市大の接収が解除になるように御努力を願いたいと思います。そういう点でいま一歩進んで話を進めるということはできないのでしようか、どうですか。 ○相馬助治君 関連して、質問したい。私こういう法律的なことはよくわからないのですが、日米安全保障条約の精神なんというものではなくて、条約の適用からしてこういう場合どういうことになつておりますか。いわゆる病院から海兵隊に用途を転用するといつた場合には、向うとしては全然新らしい用途で使うのですから、内々なり日本政府に向つてこれはこういうよう用途で今度は使うのであるということが報告されるような義務はないかも知らんけれども、慣例上そういうことが今まで示されておつたかどうかということが一つ。それからもう一つは、率直に申して、この市立大学の問題は、転用されるとき場が接収解除になる私は一番のチヤンスだつたと思うのですわ。恐らく海兵隊のための諸設備を今日急いでおるということになると、又長き将来に亙つて問題が残ると思うので、今言つたような来年の十月一日まで使うのだということ自体は、その次の段階に行けば又用途を転用して使用するというようなことを含んでなのか、それともただ話合いでとにかく来年の十月一日までは必要なんだということを一応漠と言つておるのか、いわば向うの軍のそういう総合的な計画というものは事後承諾の形で日本政府としては聞かされているのか。それから又そういうことを日本政府が自主的に聞かせろということを要求しているのか。その辺の関連をお聞かせ願いたいと思います。 ○説明員(松木豊馬君) 只今の相馬先生、荒木先生お二人の御質問にお答えする前に、ちよつと前の御説明を補足いたしますが、朝鮮事変が始まりました後に、大阪のキヤンプの設備が空きまして、というのは、そこに入つておりましたのが朝鮮に行つたらしいのでありますが、その時期があつたのと、その後に朝鮮事変のための傷病兵が相当多数ございまして、急遽この建物を病院施設に変えたという事実がございまして、その後先ほど申しましたように、病院施設としての使用分が非常に減つて来ておつたというところへ持つて来て、最近本年の六月になりまして海兵隊が入つたというのが、経過を辿つた実情でございます。 そこで今お尋ねの駐留軍に提供しておりました施設を向うが大きく使用目的を変更した場合に、日本政府側にどういうふうな連絡といいますか、交渉になつているのかという点でございますが、これは明文上は何も明らかにせられたものはございませんが、実際問題といたしまして、外務省からアメリカ側に申入れをいたしまして、最初提供のときの使用目的を大きく変更する場合、例えばキヤンプであつたものをR・Rセンタ―に変える、地元にはかなりの影響があるというような場合、そういうような場合には、日本政府としてもいろいろ措置を考えなければならんということもあるしするから、是非日本政府側と連絡するようにしてくれということから、向うも合意をいたしまして、そういうふうな場合には連絡が付くことになつております。 それからもう一つの点は、この提供いたしましたパシフィツク・エリアは、提供後は何といいますか、殆んどあらゆる権利が駐留軍側に行くわけでありまして、管理権、使用権その他何といいますか、向うさんが勝手にやる、ちよつと表現は悪いかも知れませんが、そういうふうな状態になつておりまして、これは行政協定の規定にきめられておりまして、アメリカ駐留軍側がこれこれこれこれの権利を持つのだ、こういうふうにはつきりきめられているわけでございます。そういうふうなわけでございますけれども、一方解除という点につきましても、又行政協定に規定がございまして、駐留軍側が必要がなくなつたならば、いつでも返すことについて、日本政府側とアメリカ側とがいつでもすぐに話合いをするというふうなきまりになつているわけでございまして、そういう線で仕事が進められているわけであります。 ○相馬助治君 重大なる使用目的が変更になるときには、明文化はしてないけれども、話があることになつている、こういうことだそうですが、これは当然なことだと思うので、私どもそういう答えを予期して聞いたのですが、この問題は今荒木委員が問題にしてこの委員会が取上げようとするのは、この市立大学が教育の経営上支障を来たしているということも一つの理由だが、他の大きな理由は、病院が海兵隊に転用されることによつて、その地域社会に与える影響が、消極的というよりも、積極的な影響を持つて来るというところに第二に問題にする理由があつて、むしろこの委員会としては、この第二の問題こそが社会的な影響という立場から問題だろうと思うので、そういうためにこそここに問題になつているのでして、具体的にお聞きいたしますが、この市立大学の場合には、その六月の転用されるときに、どういう形でいつ頃、即ちどのくらい前に海兵隊が入り、どのくらい前に日本政府は聞かされたのかということが一点、それからそれを聞いた場合に、それは困りますねということを会議で口でだけ言つたのか、それともやはりあとに残る文書として、こういうことは非常に困るので是非解除願いたいというふうに申請したのか、或いはそのどちらでもなくて、速記に残して、会議の正式の機関を通じて発言を以て解除を要求したのか、このことをお聞きしておきたいと思うのです。というのは、このことは責任を以て答えて頂きたいと思いますことは、劔木、加賀山、荒木、並びに私は現地に参りますものですから、日本政府は努力したそうだ、どういうふうに努力したのか、たびたび返してくれと言つたそうだ、これではまあちよつと話にも何もなりませんので、具体的にあつた事実を一つお聞かせ願いたい。そういう方法が悪いとか、手ぬるいという批判をするために聞いているのではなくて、具体的な事実をお聞かせ願えれば、それに批判は私は一切いたしません。お聞かせ下さい。 ○説明員(松木豊馬君) お答えいたします。病院施設であつたものが海兵隊が入ることになりますことについてのアメリカ側の通知は、合同委員会でたしか口頭で連絡があつたと聞いておりますが、日にちも何日前であつたか今はつきり申上げられませんが、入りましたのが六月十六日であつたと思いますが、それより二十日くらいじやなかつたかと思いますが、前であつたと思います。実はそういうふうな時期でありますから、急に申入れられたということでありまして、これに対しまして、日本側としましては、それは非常に困る、学校施設の返還が遅れるということを心配いたしまして、そういうことでは困るということを強く合同委員会の線で向う側に申入れましたのでございます。それからちよつと先ほどあれしましたけれども、今十六日に入つたと申しましたが、今入つておりまするのはマリン部隊でありまして、プロヴイジヨナル・コウア、臨時に入つておるということで、了解といたしまして、我々は感じは極くテンポラリ―に、極く短期間のことであろうということで、来年の十月以降に更に解除が延びるということはないのではなかろうかという感じだけは感じております。 ○相馬助治君 ちよつとくどいようですがね、実はこの昭和二十六年九月二十八日に、管理局長名を以て解除方を申請したというような公的なことは、これは私たち頂いた資料でわかつておりますが、海兵隊がどやどやと入つてしまつて使用開始してから、解除をしろと言つても、これはなかなか困難なので、私がお聞きしたのは二十六年の一月頃、病院の食品を搬出したというときに、恐らく学校自身としてはこれは空くぞということを期待して、それぞれ陳情なり何なりが行われたと思うのです。従つてそのときから使用開始するまでの間に一体どういう手を打つたのか。で、こういう可能なる限りの、こういうあらゆる手を打つたというので、而もなお且つこういうふうにして海兵隊が入つて来たというのか、それとも病院がやめたから、もうこれは解除になるのだと思つて、たかをくくつていたところが、意に反して海兵隊が入つたので、こつちも困つているというのか、そういうことを、ざつくばらんに一つお聞きしておきたい、こう思つているのです。 ○説明員(松木豊馬君) 只今の点につきましては、口頭では強く解除を期待しておりました関係上、その前にも口頭では何回も向うに申入れをしておつたわけでありまするけれども、先ほど申しましたようなことで、六月になりまして入つて来るということになつた。その時分に強くそれは困るという話をしたわけなのでございまして、それが率直な実情でございます。 ○相馬助治君 わかりました。内容、やつたことは全くわからないのですが、おつしやつている言葉はよくわかりました。 ○委員長(堀末治君) それじやこの問題はこの程度で質疑を打切つて……。 ○高田なほ子君 ちよつと関連して一つ聞いておきますがね、占領時代でも、この学校教育の施設を占領目的のために使うということにおいては、何か書面を以て、日本政府に対して明確にアメリカ側はその態度を書面にしておつたことを私記憶しています。今、占領中でもなお且つそうであつたのに、独立してからはなお更そうでなければならないのですが、何かこの日米合同委員会では、学校施設のこういう転用に対して、そういつたような一札というものを取つていないですか。 ○説明員(松木豊馬君) 文教、学校教育施設の返還につきましては、講和後、当時の委員会におきまして、十分私どもは相談をいたしました結果、そういうものは優先的に解除を考えるという取極になつております。 ○高田なほ子君 その取極は、何か文書か何かで、ちやんと取極まつているのですか。 ○説明員(松木豊馬君) さようでございます。 ○高田なほ子君 その文書はどういう文書なんですか。その文書によつて交渉されているのですか、いろいろのことが。その文書がいつでも盾にとられて、それで交渉をされているのですか。 ○説明員(松木豊馬君) 向うと了解に達した事項が文書に示されておるのでございまして、そういうきまりの取極の精神からいたしまして交渉を続けておるわけでございます。 ○委員長(堀末治君) この問題はこの程度にとめて頂きまして、次の議題に移りたいと思いますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕 (本サイトによる後略) |
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