国会議事録による、大阪市立大学の米軍駐留年表 米軍接収時代その4

大阪市立大学に米軍が駐留していた様子を物語る「国会議事録」は、
そのままでは読みづらく、内容もわかりづらいため、記事を経過順に整理して、
簡単な年表にまとめました。
なお、本年表は、予告なく改訂することがあります。
(年表記事中の、白字は「国会議事録」より編集した者、薄緑字は参考記事として記載しております。)


1944年6月 大阪海兵団(日本)により、一部を接収。
1944年10月6日 大阪海兵団が撤収。
1945年10月7日 大阪商科大学(現大阪市立大学)の全施設が駐留軍に、一週間以内(48時間以内とも)の立ち退き命令により、無期限使用の兵舎(第二十五師団の隷下の一個連隊、第十四連隊)として接収される。(土地53000坪、建物7600坪余り)
1950年6月 朝鮮戦争(1950年6月25日〜)以後 駐留していたアメリカ兵の一部が、朝鮮戦争のための移動によりキャンプ施設の設備が空く。その後、朝鮮戦争の傷病者が増加し、兵舎を急遽病院施設に変更。
1952年8月11日 一部解除により、商学部、経済学部、法学部、文学部の一部が復帰。土地35951坪、建物3874坪(鉄筋コンクリート三階建二棟、体育館及び室内プール、運動練習場、屋外体育施設等々が未解除)駐屯地・軍事病院と大学の隣接状態始まる。
1953年2月 第42回日米合同委員会において、野球場(7800坪)の解除を日本側が要求。
1953年7月27日 朝鮮戦争が休戦となる。
1953年8月 野球場は軍の唯一の訓練場となっており解除困難と、アメリカ側が回答。
1953年9月 第68回日米合同委員会において、訓練場の隣接地の返還を、日本側が要求。
1953年11月19日 第78回日米合同委員会において、訓練場隣接地は、訓練及びレクリエーションで使用のため、返還困難と、アメリカ側が回答。
1954年始め この頃まで病院として使用。
1954年6月16日 アメリカの海兵隊の兵舎として使用開始。
1954年6月 第92回日米合同委員会において、1955年10月1日までは、将校100人、下士官兵1500人の収容のため必要と、返還できないと、アメリカ側が回答。この頃から、ヘリコプターの発着や、軍の演習が行われるようになる。
1955年9月17日 大阪市立大学の米軍による接収解除。


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