ENTRANCE遊邑舎本館TOP遊邑舎分館TOP住吉Web博遊び学ブログ
遊邑メンコ館入場者数


第一展示室  《 メンコのルーツと歴史 》
遊邑メンコ館第一展示室《歴史》


■ はじめに

 メンコのルーツと歴史を考えるには、メンコなどのあそびの道具(玩具)とあそびの関係を考慮しなければなりません。それは、こどものあそびにおいては、一つの玩具が別のあそびに転用されることは珍しくないからです。その転用は玩具だけに限らず、石ころ・貝殻・木の実などの自然物から、釘・硬貨などの日常生活で使用される物も、あそびに転用されます。

 実は、メンコもその例にもれず、そのルーツを考えるには、玩具としての名称のルーツと、あそび方のルーツの、両方から探る必要があります。


■ 名称のルーツ

 メンコ、すなわち面子(めんこ)の名称のルーツは、「めんがた(面模・面形)」とする説がもっとも有力です。それは、江戸時代の資料「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」からも推察できます。以下に、その該当部分を引用しておきます。

○めんかたとは湯桶読みなり【著聞集】(十二)小盗の条に面がた一つありけるは其面をして顔をかくして夜な夜な強盗をしけるなりけりと有おもてかたと読べし【鎌倉職人尽歌合】猿楽の歌いとつるるわれとはさらに見えしとておもてかたをもきまほしきかな今小児玩物のめんがたは面模なり瓦の模に土を入てぬくなりまた芥子面とて唾にて指のはらに付る小き瓦の面ありしが今はかはりて銭のやうにて紋形いろいろ付たる面打となれり元禄の頃【若葉合】と云う歌仙の内に常陽花をどり指人形の軽はづみ彼けし面は指人形の爲に作れるなり

  (嬉遊笑覧:喜多村信節著)


 上記の「嬉遊笑覧」より推論しますと、泥面子B/年代不明もともと「面模」を使って抜き取った作った「芥子面(けしめん)」を、他のあそびであった「銭打ち」に転用したあそびが「面打(めんうち)」となり、それ専用の「芥子面」(あるいは「芥子面」状の玩具)を後に「面子」と呼称するようになったと、考えていいでしょう。

 なお、明治期の資料「江戸と東京 風俗野史」(伊藤晴雨)にあそびの名称として「めんこ」の使用例があるので、少なくとも明治初期には、あそびの名称としても「めんこ」が定着していたことは確実です。
(右画像:泥面子/時代不明)


■ あそび方のルーツ

泥面子A/年代不明 メンコのあそび方のルーツは、上記の「嬉遊笑覧」からも、もっぱらおとなのあそびであった「銭打ち」であることも明らかです。その「銭打ち」は、一説によると平安時代までさかのぼれ、さらに「木の実」を使ったあそびまで起源を求めることができるようです。
(左画像:泥面子/時代不明)


■ 名称の変遷

 土(泥)製の「面子」を使ったあそびが多様に発展し、紙面子A/明治期明治期になると、鉛・瀬戸物・紙などの泥以外の材料を使った「面子」と、それを使ったあそびが生まれます。そのことにより、元の泥製の「面子」は、「鉛面子」「紙面子」などと区別され「泥面子」と呼ばれるようになります。

 明治・大正期には、紙製のいわゆる「紙面子」の普及の拡大により、その「紙メンコ」を使った独特のあそびが、全国各地で多様に発展していきます。それにともなって、「紙面子」は、「ベッタン」「パッチン」など、地域独特の名称が爆発的に生まれます。
(右画像:紙面子/明治期)


■ あそび方の変遷

 「泥面子」は、「銭打ち」のようなあそび方だけでなく、「おはじき」のようなあそびにも転用されます。さらに、「鉛面子」や「紙面子」などの薄手の「面子」の普及拡大にともなって、「銭打ち」「おはじき」的なあそびよりも、「起こし」や「返し」などの、新しいあそび方が主流となっていきます。

紙面子裏/戦後 その一方で、ガラスが比較的安価に手に入るようになると、「おはじき」的あそび方は、ガラス製のおはじきに、「銭打ち」的あそび方はビー玉に分化していきます。

 さらに、「紙面子」の裏面にも絵や文字などが印刷されるようになると、トランプ・花札・株札などのカードゲーム的なあそびや、「なぞなぞ」のようなクイズあそびなども生まれます。
(左画像:紙面子/戦後期)




■ 参考文献

 「日本わらべ歌全集 27 近世童謡童遊集」、尾原昭夫、柳原書店、1991
 「めんこ」、鷹家碧/日本めんこ倶楽部、文渓堂、2008
 「江戸の子供遊び事典」、中田幸平、八坂書房、2009




Copyright (C) 遊邑舎 2012 All Rights Reserved.




ENTRANCE遊邑舎本館TOP遊邑舎分館TOP住吉Web博遊び学ブログ
inserted by FC2 system