国会議事録に見る米軍駐留時代の大阪市立大学 米軍接収時代その3

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第019回国会参議院文部委員会議事録(4)
(1954年8月27日)
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誤字・脱字は、ダウンロードした文書のままで、上記表題は本サイトによる。

(本サイトによる前略)
○委員長(堀末治君) 続いてそれでは大阪市立大学校舎接収解除に関する件を議題に供します。
 そこで御質疑に入る前に御報告申上げますが、先般御決議を願いました決議又は、文部大臣と外務大臣には私自身持つて参りました。あと協力局長と調達庁長官は事務当局に出しておきました。文部大臣には直接お会いしてよくお願いして参りましたし、外務大臣はお留守でありましたので本日見えております秋山政務次官によくお願いして参つたのであります。従いましてそのおつもりで本日御質疑をお願いいたします。なお本日できれば前の伊関局長と今度送られました湯川局長にお出かけを願いたいということを昨日からずつとお願いしておつたのであります。遺憾なことにはお二人とも事務の引継ぎ関係でアメリカ側共同とで事務の引継ぎを大使館へ行つてやつております。こういうことで、何とか都合して一十分ほどの御出席を願いたいと大分お願いしたのですが、そんなことでどうも向うへ行つていることであるから御勘弁願いたい、こういうことでありますから、幸い政務次官も調達庁長官も見えておりますからそのおつもりで一つ御質疑願いたい、かように考えております。

○荒木正三郎君 大阪市立大学の接収解除の問題について外務政務次官もお見えになつておりますし、調達庁長官もお見えになつておりますから若干お尋ねをしたいと思います。この問題につきましては、前回開かれました文部委員会におきまして外務大臣並びに文部大臣の出席を煩わしましていろいろ質問したわけでございます。併しその質疑を通じて調達庁長官に是非お尋ねをしなければならん、こういう必要が起りまして本日御出席を願つたわけであります。私はこの問題について外務大臣との質疑の間において、外務大臣はこういう答弁をしておられます。即ち私は、駐留軍が教育施設を使つておるということに対しては優先的に接収解除がなされなければならん。こういう趣旨はこれは日米双方とも了解しておることであるし、議会方面においても決議もなされておることである。然るに大阪市立大学のみは今日なお接収が解除されておらない。それから将来の問題についてもはつきりとした目安はついておらない。こういう事情はこれは日米双方の了解の趣旨にも反するし、それから議会方面の決議の趣旨にも反する。こういう状態が放置されておるということは私は甚だ遺憾であると思う。そこでどうしてもアメリカ側があの地域にキヤンプなり施設なりが必要であるというならば当然代替施設を作るとか或いは新たに施設を作つてでもこの市立大学の施設を返還すべきである。これが放置されておるということは我々の了解に苦しむところである。こういう質問をいたしたのに対し、外務大臣は代替施設なり或いは新たな施設を作るということは調達庁長官のほうの責任である。従つて自分としては啓えられないという答弁があつたわけです。そこで私は調達庁長官に伺いたいのですが、今日なおこの教育施設が接収せられておるという事態は甚だ遺憾であると思う。なぜ今日までこういう事態が放置されておつたのか、先ずその点をお聞きしたいと思います。

○説明員(福島愼太郎君) 大阪市立大学の問題は学校の接収問題の中で最後に残りました問題で今日まで続いておることは甚だ遺憾でもあり、又双方の了解の上から言つても解除の方向に処理されなければならない問題であることは明かであります。今日まで放置されておつたわけではないのでありまして、いろいろの関係での案出し交渉も行われておりました。特に昨年秋頃以来これを早くあけるということでいろいろな交渉が行われおりました。アメリカ側が万やむを得ずこれを使わなければならん事情にあるものであるならば代替を作つて移動させるようにという提案はすでになされたのでありまして、これに対しましてはアメリカ側の答えというのは時期が明瞭になつておらないけれども、来年の秋になれば米国陸軍の地上部隊の移動というものが始まるのではないかと考えられておる。その際に一審先に大阪市立大学におる部隊を動かして、あすこをあけるようにしようという話が出て参りまして、日本側で代替物を造り、アメリカ側にそれに越してくれと言つても、それを断わる理由は何もないのであるけれども、日本側の使う予算についてアメリカ側がとやかく百うことはないかも知れないけれども、来年は越すと言つておるのだから、何億という金がかかる話でもあるし、よしてもらえないか、そういう話になりまして、代替物という話は一応途絶えたわけであります。その後更にアメリカ側は代替を作つアメリカ側を入れることができなければ、臨時の建物でもいいから学校側に代林を造ることができるかという案も研究されたことがあるわけでありますが、そのために校舎の裏側にあります空地その他の返還ということも交渉されたことがあるわけでありますが、これに対しましても日本側の施設である以上は、アメリカ側がとやかく言うことはないにしても、来年返すと言つておるものを今年工事をするといういわれはなかろうというところで、これ又その代替という案の具体化を見ずにおるわけであります。代替という考え方での研究は相当根強く研究もされ、行われましたのでありますが、アメリカ側が来年秋にあけるという話になりまして、跡絶えたということになります。問題は来年秋にあけるというものをはつきり一札出して欲しいという交渉に今なつて来ておるわけでありまして、具体的な案が今は出ないというところで目下押し問答をしておるというところになつております。

○荒木正三郎君 私は放置しておるという言葉使いは適当でなかつたかも知れません。私の言つているのは、今日に至るまで接収が解除されないという事実を指しておるわけなんです。すでに九カ年という長い日月を経過しているわけです。特に学校側にしましても、大阪市の当局にいたしましても、いわゆる病院としての任務が終われば返るのじやないか、こういう期待を持つておつたのです。ところがその期待が全くはずれてしまつた。そうして今年六月に新たに海兵隊が入つた、而もこの海兵隊の駐留については、はつきりとした返還の期日というものが明示されない、こういう事態に立至つておりますので、もう学校側としても、市当局としてもこのまま在荷としてただそれの時期がわからない、接収解除を待つということは、こういうことはできがたい事情になつておる。当文部委員会としても先般視察をいたしまして実情を見ました。そうしてその報告を委員会にいたしましたところ、当委員会としてもこれは速かに接収解除に我我としても協力しなければならんということに意見の一致を見ているわけです。今福島さんのお話では、やはり来年の秋には返るのじやないか、或いはそういう意思を向うが洩らしておる。併し肝心なそれが明確にならないという点が私はやはり問題があると思います。必ず来年の何月かには返還されるのだということになれば、私は若干学校側としても、市当局にしても考える余地はあると思います。併しそれが明確にならないということになれば、これは私はやはり九年も経つておるのですから、この事態をそのまま放置するということは、現地の事情としても許されない事情があると思うのです。そういう点でここに、はつきりとした政府の方針をお聞かせ願いたいと思います。今一札をとるということについて折衝をしておる、こういうことでありますが、その折衝の結果来年には必ず返る、こういう結果になれば私は事態ほ非常に好転する、そういうことが実視できない場合どうするかという点もはつきりしないと私はこの問題に対する見通しがつかないことになつて、現地の事情としても学生諸君の気持としてもこれは収まりにべいのじやないかこいうふうに考えるわけです。我々も入部委員の立場としてもこのままではこうも納得できがたい、こういうふうに考えております。そういう政府の方針についてお聞かせ願いたいと思います。

○説明員(福島愼太郎君) この大阪商科大学問題につきましては、大体の考え方と申しますか、方針と申しましてもよろしいかも知れませんが、私どもは一応かように考えておるわけであります。アメリカ側が地上部隊の撤退を開始するときには、この部隊を優先的に一番先に帰す。従つて来年の秋頃からそれが具体化するであろうということは、それ自体のステーツメントとして嘘ではないと思います。又当然そういう問題は遅かれ早かれ而もここ一年くらいの間には起つて来るべき筋合いの問題でありまして、それはほかにそういう兆候も出ておるわけでありますから、そういう場合に必らず大阪商科大学の問題を先ず第一に考えるという意味におきまして来年末項、秋頃、そういう言葉遣いをいたしておりますが、必らずあける計画が立つと思う、こういうことを一応の土台にして考えておる。それに対しまして私どもといたしましては市立大学側の気持もあるわけであるし、来年秋頃といい末項といい、その案自体が当然に具体化せねばならぬ事態にあることはわかるわけであるから、必らずそういう事態になつて来るであろうけれども、秋頃といい末項といい、それではいささか話として、はつきりしないから、これを例えば十月一日でも十月末日でもそういう期日を示して、はつきり確約ができるかどうか、できればほかの問題の処置も、それに附随する問題の処置も確約して十月一日なら一日からということで、また大学側にお願いする話合いもいろいろ変つて来ますので、これを理想として話をしているわけであります。これは来年一杯とか秋とか末とかにそういう具体的な事態に必らずなるわけであるし、そのときに必らずこの問題は実現させてみせる。併し今から期日を明示して委員会なら委員会の決定ということはできかねる。今やつておるわけでありますので、我々としては第二の考え方としては、アメリカ側の代替ということができなければ、期日がはつきりしないということになれば、一年なり一年半なりという期日が実質的には明らかになつておつても、何月何日ということが明らかでなければやはり学校側との間でいろいろ話合いもむずかしいわけであるので、現在来年の秋までの事態を多少でも緩和して学校側の便益を回復するためにもと考えまして、一応中央の道路を解除するとか、これを校道に直すとか、軍側の入口を学校と反対側のほうへ廻すとか、学校の正門を中央のもとの位置に回復させるとか、現在一部解除になつておりますが、学校の中に入り込んでいるアメリカ側の建物が四つばかりありますが、その建物の部分を解除させるとか、裏側の野球場との間の金網の塀が講堂の近くになり過ぎておつて、講堂の入口の使用に不便な点を改良するとか、そういうものを第一段の前提として、これは近く実現する予定でありますが、話合いをしております。十月一日なら十月一日、十月末日なら末日ということで確約してくれるなら、この程度の手直しで向側との話合いはできるのじやないかと考えております。十月一日なら一日という確約ができないならば、我々の今の考えを一部手直しして、ほかに裏のほうに広がつておる空地、先方の訓練場でありますが、これを返すということを言つておるわけであります。私どもの考えといたしましては十月一日でなくて、多少その線がぼやけておるということになれば、まあそれ以上非常に長くなるということはないにいたしましても、それでは学校側に対して何とも申訳のない次第になるわけであるから、ほかのほうの空地を返させて、現在のトラックの位置なり若しくはそのあいたほうの位置なりに学校のために現在接収されてまだ返つて来ない建物に相当するものを、臨時の建物でもいいから建てるという案でも立てなければ、これは話にならないというふうに考えておりまして、差当りは従いまして来年返すという期日がきめられるかどうか、きめられるならば先ほど申上げました学校側の利用に対する一部手直しという案との組合せで行こう。来年の期日がきめられないということであれば、併しながらそれが数カ月以上、六カ月とか一年以上動くようなものであつては困るけれども、返すことは返す、だが期日をこの際しかと何月何日ときめることはちよつと困るということであれば、裏の練兵場のほうへ手を拡げてトラックを移すことができますかどうか知りませんが、理想からいえば学校側の運動場をそちらへ移しまして、現在運動場のあります所ヘバラツクでも何でも建てる、こういうような考え方で進めておるわけであります。

○相馬助治君 今非常に具体的なお話で、御努力なさつており、且つこちら側として具体的にお考えになつておるということがわかりまして、その意味では一応敬意を表しますが、私どもも現地を見て想像以上に現地の状態というものがおかしな形になつておる。具体的に言うならば、只今のお話にも現われておりますように、建物の工合、それから道路の工合が将来生徒諸君と向うの軍隊側との間に事と次第によつては国際親善上思わしくない事態の勃発をも予想されるような形において建物が配置されている、こういうところから非常に心配しているわけです。そこではつきりお尋ねしておきたいのは、接収しておる建物の使用目的が大きく変更するときに当然あなたたちのほうにも話があつたはずでありまして、従いまして市立大学の場合には病院から現在のような海兵団が入るということになつた際にどのような話合いが行われておるのであるかということを確めたいのです。即ち返還がその当時予測されて具体的に話合いに乗つていたのかどうか、又何らの条件をも附さずに先方様の要求通りに今のような海兵団の使用となつたのかどうか、この点を先ず明快にして欲しいと思うのです。と申しますのは、生徒諸君が先達てまで我慢をして来たのは病院に使用しておる、そうして屋上には国連旗がはためいていた、このことは生徒諸君、職員諸君が不便はあるけれども、みずから慰めて、やむを得ないと思つていたのだと思うのです。それが突如として海兵隊になり、アメリカの旗が屋上に翻つておる、こういうことになつて、これは何とかしてもらわなければならんという気分になつたと思うのです。従いましてその辺の話合いがどうなつているかということが今後の解決への一つの尺度になると思うので、私は先ずその一点を明確に伺つて、然る後に二、三のことをお聞きしたいと思うのです。

○説明員(福島愼太郎君) 大阪市立大学が接収されましたのは昭和二十年のことでありますが、日本の海兵団のいたあとをそのまま軍事施設としてアメリカ側が自動的に接収したという形になつておりますが、その際の使用の目的は兵舎でありまして、第二十五師団の隷下の一個連隊、第十四連隊というのが入りまして、兵舎としてこれを接収したのが始まりであります。その後朝鮮事変が激しくなりましたときに、病院に一時転用したことはありますけれども、病院に転用いたしましたときも、兵舎並びに病院という名目になつておりまして、使用目的は初めから兵舎ということになつております。実質上一時それを病院に使用したことがあるというわけであります。従いまして使用目的を変更する云々というアメリカ側の相談といつたことはなかつたわけでありますが、実際には病院の終り頃に我々といたしましては名義上の、目的は兵舎と書いてあるけれども、実質上は病院であるわけでありますので、これの返還という問題は常にほかの病院の問題以上に熱心に要求はして参つたわけであります。使用目的の変更といつたようなことは従いまして初めから兵舎であつた関係で、そういう関係の議論の対象にはならないわけであります。

○相馬助治君 そうしますと、私どもの聞いた話では大阪市当局並びに学校等が調達庁或いは外務省等に話を従前いたした場合に、現在使用しておる病院の用務が終るならば、自然発生的に君たちに解除されるのだから、今暫らく我慢せよという意味の発言があつたように聞いておりますが、それは今の長官のお話からいたしますと、仮に若しそういう発言がなされたとしたならば、それは誤りであつた、こういう意味のことでございますか。私はそういう誤りがあつたというようなことで揚足をとろうとするのではなく、現に学校側でそういうふうに申しておりますものですから、その辺の事情をはつきりさせたいと思うのですが。

○説明員(福島愼太郎君) この市立大学の接収部分の校舎が名目は如何ようにありましても、一時病院に使用されておつたことも事実でありますので、病院の関係は主として朝鮮事変に関連して強調されておりましたので、そういう時期が来れば全般的に我々としては病院の返還を要求する覚悟でありましたし、又病院というものは大抵返してもらえるだろうとも考えておりまして、私が調達庁に参りましたのは極く新らしいことでありますので、その関係の事情をどういうふうに御返事申上げたか知りませんが、実際上は病院に使われていることは事実でありますので、兵舎その他アメリカ側で理窟を言えば理屈はあるだろうけれども、ほかの病院と一緒に扱つて解除の交渉は成立するであろうと考えておつたことは、これ又事実であります。従いましてほかの病院と一緒に或いはそれ以上早く解除を成功させるつもりでもあるし、又熱心に交渉するという意味での御返事は確かにしたであろうと思います。それが不幸にいたしましてほかの病院のものが全部成功いたしまして、これだけが残つた、こういうことになるわけでございまして、それを申上げたときに誤つたということであるかどうか、事態との関係において遺憾な結果になつたことは事実でございますが、誤りであつたかどうかを申上げることは、これは私の申上げたことでもございませんので輝かりますけれども、必らずしも誤りであつたのではないと考えております。

○相馬助治君 前に調達庁のどなたかをこちらにお呼びしてお聞きいたしましたときに、病院から海兵団へ使用目的が転用されるということが約半月ほど前に承知した、こういう話を承わつていたのです。当時私どもは現地視察前だつたものですから、そのことについて深く追及しなかつたのですが、その問題について今責任者である長官より承わつておきたいと思いますことは、当時米軍が病院から海兵隊使用に、今度軍隊を入れるのだという通知が調達庁に正式に何らかの取極めによつてなされたのか、それとも今長官が御認識されているように、もともと軍隊が入るべきものであるのを、一時病院に転用していたので、又軍隊が入るという意味で、状況をただ知らせるという意味で、そういうことが調達庁に伝えられたという程度なのか。この点を明確にして頂きたいということと、それから第二には、そういう使用目的の変更が長官に言わせれば、正式な意味では使用目的の変更ではないといいますが、現実の問題としての使用目的の変更がなされる通知なり、乃至は了解なりを調達庁が聞いたときに、こういう点について念を押しては頂かなかつたでしようか。それは教育関係の施設については、他のものに優先して、個人の住宅だとか、個人の会社なんかに優先してこれを解除するという取極めがあるはずでございます。そういう取極めの意味からしても、この市立大学の場合には是非ともこれは解除してもらわなくちやならないというような、日本側の積極的意思が、その場合先方に開陳されていたかどうか、そういうような積極的意思は開陳されずに、そのまま海兵隊が入つたのかどうか、この二点について、この際承わつておきたいと思います。

○説明員(福島愼太郎君) 病院でありましたものが、海兵隊が入るのに際して、アメリカ側から日本政府、特に担当官庁であるところの調達庁に正式に通知があつたかどうかということでございますが、これは正式な通知はなかつたのであります。転用するという意味の通知はなかつたのであります。併し私どもは、大阪市立大学を返還しろという、正式の要求をしておりましたので、先方は返還ができないという、正式の返事をして来たのであります。それに対してその理由を質しましたところが、部隊が入る、そういう意味で正式なルートで海兵隊が入るということをかなり前に知つたことは事実であります。併しながらこれは使用目的の変更の通知というたちのものではなかつたということであります。勿論その際に我々といたしましては、学校施設は優先的に解除しなければならん、従つてこれは病院、形式的な理論は別として、実質上病院に扱つており、而も大阪市内においても、又はその附近においても、京都市内においても、病院はその際返すという事実は現われて来るわけであるので、これを海兵隊を入れることは困るという議論を非常にしたわけであります。それに対しまして、先ほど来申上げましたように、来年の秋までの話なんだから、日本の保安隊の増強計画に伴つて、現在米国の部隊が北海道、九州方面から本州に集まるという案を推進しなければならん、その意味において、一時的にアメリカへ帰るまで本州にはどうしても留まる傾向になる、九州のほうは来年の計画になりますが、これ又関西方面に部隊を置いて来るということにもなるわけでありまして、大阪方面はどちらかと申しますと、それまでの解除が進み過ぎまして、大阪市内においてはこの関係しか接収物件はないのです。この市立大学を使わざるを得ないという話になつたわけでございまして、こちらの正式な返還要求に対する先方の正式な回答の中に、そのときにおいて解除し得ない理由として海兵隊が入つて来るという通知に接したわけであります。

○相馬助治君 ちよつと速記とめて。

○委員長(堀末治君) 速記とめて。
   〔速記中止〕
○委員長(堀末治君) 速記を起して下さい。

○須藤五郎君 折角外務次官も見えておるのですから伺いますが、今長官は来年の秋返すという向うの言葉をそのまま鵜呑みにしておるようですが、そういうように信頼できるかどうか、若しも信頼できるとするならば、その根拠を私はもつと具体的に聞きたいと思う。
○説明員(秋山俊一郎君) この間就任しました秋山でございます。
 この接収解除の問題につきましては、調達庁及び外務省の国際協力局の両方で相当してやつて参つておるのでありますが、私も最近就任したばかりで、当時のいきさつ等は、今福島長官からお話になつた通りに伺つております。ただ来年の十月という一応の数字的な話が出ておるのでございますが、先ほどから福島長官から話がありますように、十月という話は出ておるけれども、十月にそれではきつかり返すというところまではまだ行つていないようであります。併しながら、現在の米駐留軍の展開状況、その他日本の自衛隊の状況から考えまして早晩ここに変化が起るものであろう。そうしますというと、米軍が十月ということを言つている裏には、漫然と言つているのではなく、そこに何らかの見通しはあるものであると、かような程度にしか考えておりません。従つて、外務省といたしましても、この問題については九回ほど要求をし、折衝を続けて来ておるようでありますが、成るべく早く、十月なら十月、或いは十月一日であるか末日であるか、とにかく期日を少しも早く一つ知らせてもらいたいということを頻りに要求をしておるのでありますが、それに対してまだ確答がございません。従いまして、福島長官といたしましても、恐らく、はつきりした裏付になる証拠は持つておられないだろうと思いますが、そういう諸般の情勢から、恐らくその辺ではないかというふうな感じを持つて進んでおると思います。従つて、それを早く裏付けるような返事を取付けたいと、かように努力いたしておる次第でございます。

○須藤五郎君 どうも話がぼやつと最後のところへ行くとぼやけてしまつて、福島長官も、ただ米軍が来年の秋或いは暮には返すと言つているからそれを信用しているというだけで、それを信用するに足る根拠というものは我我に何ら示されていない。私はあなたたちの言うことをそのまま信用することはできないと思う。私たちが信用する根拠が何も示されない。ただ米軍が言つておるというだけです。ところが、米軍はいつでも言葉を裏切ることは平気です。若しも、それを来年の秋返すというが、来年の秋返さなかつた場合にはあなたがたどうするのか、それは何か具体的な処置をとる立場にあるのかどうか、どうなんですか。

○説明員(福島愼太郎君) アメリカ軍が来年の秋頃返せるであろうと申しておりますことは、これはまあ時期的にぼんやりしておるということは確かに言えるかも知れませんが、その裏付となるものは、アメリカ軍の撤退というものがあればいずれは返されるのだということが裏付となつておるわけであります。これは末代撤退がないとは我我考えておりません。これは常識的な話でありまして、役人としての話ではないかも知れませんが、いずれは動くであろうと、従つてその意味においての裏付はあると考えておるのでありますが、併しながらそれが今日問題となつております事態の解決のためには、どうもちよつと間があり過ぎて困る。そういう大体の方角として話に間違いないということは、これは常識的な裏付は私はあると考えておりますが、それでは市立大学のかたがたに対しては、余り確たるお話にはならないので、それだけで待つてくれというわけにはいかないのではないか。来年秋という話が十二月になつてみたり、一月になつてみたり、今日まだ期日がはつきり確定しない以上は、さような場合にも備えておかなければならないのではないか。そういたしますと、米国側のために代替を建ててやるというようなことは、これはその建物の数から申しましても、金がかかり過ぎて話にならない。学校側の建物の数というものは、これは比較的少いので、今日接収されております建物の数は比較的少いのでありますから、これを学校に続けて建て得る場所、バラックでも何でも建て得る場所を確保しておけば、さような事態に対処できると、かように考えて先ほどお話申上げたつもりであります。

○高田なほ子君 関連して……。日米合同委員会の前身である予備作業班では、この接収その他の問題についてたしか十原則を立てられておる。その十原則というものの中には、学校を優先的に解除するというようなことは当然私は含まれておると見ております。この十原則は勿論日米の対等の立場における話合いであつたと思うが、これを履行し得ないところの米軍に対する日本側からの積極的な施策というものは、当然私は日本側にあると思う。これ耳ついてどういう解釈をしているのか、それを先ず伺いたい。

○説明員(福島愼太郎君) その予備作業班というもので講和発効後調査をいたしましたときに、大阪市立大学の問題は当然に問題になつて、学校だからということで優先的に解除という話合いがすでに行われたのだそうでありまして、それ以外の問題であると承知しておりますが、私もどうもお役人になりましてからまだ一年にしかならないので、古いことは私の承知していることとして申上げるわけに参りませんけれども、予備作業班のときに日米の間にこの大阪市立大学の返還問題が交渉が開始されて、それが今日引続いておる現状だと解釈いたしております。

○高田なほ子君 この十原則というものはただ単にその場だけの話合いでそういう原則が持たれたものとは私考えられない。当時予備作業班のときから問題になり、具体的にこの大学の問題が出ているのに、それを進め得なかつたのは明らかに私はアメリカの責任だと思う。この責任をやはり日本政府としては当然私は追及して行かなければならんと思う。御覧なさい、今日十原則の中で都心にあるビルの解除には池田さんはわざわざアメリカ政府まで行つて、而も運動の促進方を積極的にやつているという、而もその中には疑獄というような柱間の噂さえ出て、三井、三菱の大資本の持つているところのビルなんというものは次々に解除されている。こういうような中でなぜ学校の教育施設はこの十原則の中に入れられているのに今日まで放置されているのか、余り私はこれは腰が弱過ぎると思う。実に私は慨嘆に堪えない。これは大阪市の顧問をしておられるあなたに私が憤慨をしても始まらないと思うけれども、これは水産大学の接収解除の問題にも非常に奮闘された秋山さんが今日外務次官の地位に就かれたというので、私は少くともこの大阪の問題については、秋山さんに最大の希望を繋いでいる一人なんです。どうかこの十原則というものは日本側をおちやらかすための十原則ではないはずであります。どうかこの原則を盾に取つて、もう少し強硬にやつて頂かなければこの問題は解決しない。どうかこの解除ビルのことを念願に置いて、強硬にやつて頂かないと問題は一層紛糾すると思う。脅迫するわけではないが、たまりかねて私は一言挾みます。

○須藤五郎君 僕が先に質問したのは、あなたたちは来年の秋返されるということを目安にしているわけです。ところが若し来年の秋返さなかつた場合にあなたたちは学生に対してどういう責任をとるかということを僕は質問しているわけです。その場合にあなたたちはアメリカに対してどういう手が打てるのか、先様任せで返してもらえなかつたから、返すといつて返さなかつたから仕方がないと学生に言うのか、私は来年の秋は返らないだろうという推測を持つているわけです。あなたたちと逆の考えを持つておる。そこで来年の秋返すということをあなたたちは非常に安易に信用しているが、若し返らなかつた場合どうするか、あなたたちとして打つ手があるのかということです。アメリカに対してどういう干を打つのか、学生諸君に対してどういう手を打つのか、そういうことを僕ほ先に尋ねたわけです。

○説明員(福島愼太郎君) 来年の秋返りない、全然いつまでたつても返さないという事態にはこれは到底なるまいこ思いますが、来年秋というのが再来年春になつて、そういう来年秋という線を越すようなことがあるか、そうすれば学校のために代替のものを建てなりればならない事態になるであろう。そのときになつて地面がないの何のとあわてたのでは収まりがつかないだろうから、今から地面を取つておくという折衝を始めたわけです。

○須藤五郎君 来年の秋までは今のままで放つておくというのか、それとも今日もう、教会があるために学生諸君は非常にそれを問題にしているが、その教会だけでも今日即刻取払うような方向にあなたたちは出ようという熱意を持つているのか、来年秋までそのままで放つておくのか、どうです。

○説明員(福島愼太郎君) その問題も或いは私は言葉が足りなかつたかも知れませんが、私どもその問題も申上げておるつもりでございまして、真ん中の入口、キヤンプの入口と学校の入口がくつついておるのはこれはトラブルのもとだから、学校の入口はもとの通り旧正門に復させる、そのためには真ん中の道の接収を解除しなければならん、軍の入口というものは反対側へ持つていつて、電車の線路があるのでどこへでもつけるというわけにゆかないが、ずつと離れたところに軍の入口をつけるとか、その他真ん中にチャペル、倉庫、消防施設、そういう形で出つ張つておりますのはこれは取払わせるとか、野球場等の間隔を拡げて講堂の出入に便利にするとかいうことはこの案の今後の変化如何にかかわらず、全然離れてそれだけは即刻やろうというつもりで、又できるような予定になつておると確信しておるわけでございまして、申上げておるわけであります。

○須藤五郎君 あなたたちも来年の秋返るということを一〇〇%信用していないようですね、今の言葉でいうと。そうでしよう。返らない場合のことをすでに定めておる。空地を確保しておかなくてはならんということをすでに手を打つことを考えていることは、米軍の言をあなた自体一〇〇%信用してない証拠です。確実だというふうに信用するなら、そういう手を打つ必要はない、併しそれが信用できないからそういう手を打つているということなんです。だから信用してないということにおいては僕と同じだと思うのです。そうでしよう。だからそういう信用できないようなことを前提としてものをしないで、やはり強硬に返せ、絶対的に返せという運動を強硬に主張することと同時に、今日もう来年の秋まで待てない状態にある学生諸君の希望を少しでも早く満たすためには、チャーチの取払いとか、そういうことを具体的に今日進めなくちやいけないと僕は思うのだ。

○説明員(福島愼太郎君) 来年の秋を信用してないわけではございません。これは信用しておる。信用しておりますが、期日がはつきりしないというために、秋といつたのが春になつたり、(「夏になるかわからん」と呼ぶ者あり)そういう関係はあるであろう。そういう場合に私たちは、秋返すといつたところで、これは信用できることでありますから、それはそれでいいのじやないかと思いますけれども、併し学校の立場、学校当局と学生との立場その他を考えますと、若し万一、二カ月でも三カ月でも延びた場合にどういう応急的な措置がとれるかということは、万一の場合を考慮して地面その他の確保に努めているわけでありまして、だから信用してないということではないわけでございますから御了承願いたいと思います。

○相馬助治君 質問があるので福島長官に一点質しておきたいのですが、私も現地を見たときに、優先的に返さなくてはならない学校になぜこんなに金をかけて厖大な施設をしたのだろうということを学校側に尋ねましたところが、学校側でこういうことを言つたのです。日本側、政府では、これは学校だというふうに認識していてくれるが、アメリカ側はあの建物を当初便つたときには、日本の軍隊のものを取上げたという気持になつている。具体的にいえば市立大学の建物を大東亜戦争の末期において軍隊が取上げて使つていた、その軍隊が取上げて使つていた建物をアメリカ軍が取上げたのだから、日本側は学校だ、学校だというが、我々はこれは軍隊のものだと思つている、こういう認識があつたのだ、こういう話を学校から聞かせられたのです。この問題に関しては今日了解はどうなつているのですか。即ちアメリカ側は学校だと本当に思つてくれているのですか。それとも行きがかり上もとは学校だつたかも知らないが、我々は日本側の軍隊のものだと思つて、かような金をかけて設備を拡充して使つたのだと未だに言うておるのですか、その点如何ですか。

○説明員(福島愼太郎君) 終戦直後接収いたしましたときには、アメリカ側は学校を接収に来たつもりはなくて、海兵団を接収に来たつもりでありました。で、それはもう間違いないと思います。併しながらその後結局学校だということ追い追いにわかつたはずでございまして、そういう事例は非常にたくさんあるわけなんです。大分もう返してもらつたりなどいたしておりますが、そういう間違いで始まつた接収というものは今日最も不幸な事態になつている事例は非常に多いわけでありまして、大阪商大のごときはそれは海兵団がおつたと申しましても、何も長い間海兵団がおつたのではなくて、終戦直前に本当にもう学生もいなくなつた頃に無理矢理に入られたという形でありまして、事実はもう非常に同情に堪えないのでありますが、ただアメリカがあすこに入りました動機は、機械的に旧軍事施設に入るということで全部入つたということは事実でございます。今日はそこまで行つていない。学校であつたという、そういう事情で接収してしまつたことは、非常に気の毒だと言つておるわけであります。従つてこれをできるだけ早く解除の方向に持つて行こうということで、常に話に出ていることだけは間違いございません。

○剱木亨弘君 これは私質問とか、そういう意味ではないのであります。実は今日秋山政務次官もおられますが、水産大学の問題が起りましたときに、水産大学の学生が相当激昂しまして、学生が大挙して国会に押寄せるとか、そういうような問題が起つたことがございます。そのときに私どもとしては、学生がそういう直接運動をしてはいけないから、飽くまで我々委員会に任せて、その結果を信頼して待て、そうして学校では学生がそういうように騒いではいけないということを私どもは主張して来まして、相当あの際は問題がありましたけれども、結局学生としましては極めて穏健な運動に終りました。で、水産大学の問題もようやく解決の緒についたわけでございますが、これは要するにこの学校当局とか学生というのは、面接には接収問題はアメリカと日本政府の問題であつて、何ら学生は関知しない問題であつて、その犠牲だけを学生が負つているような実情であろうかと思います。私先般大阪に参りましたときに、学生の代表と懇談会をいたしました。私の特に希望としては、どうか一つ、学生自身が、学生運動としてまあ起すのは非常に自重してもらいたい、我々はできるだけの努力をするからということで、学生に約束をして参りました。今日も委員会に参つておりますのは、学生の代表が一人、而もみんなの声をというのでテープ・レコーダーまで取つて、国会に持つて来て、極めて自重された形で学生は我々の出方を注視して待つておる状態でございます。恐らく大学御当局も、この学生のいわゆる指導には非常に苦労されておられると思いますし、この前は本委員会に学長が来られ、今日は学部長が来られております。如何にこの問題を千秋の思いで我我の努力をお待ちになつておるかということはわかると思います。今日は丁度休暇中でございまして、開けば九月の十日頃には学校に全部学生が集つて参る、而もこの頃の様子を聞きますと、今長官が返還を要求されるといういわゆる空地の部分は、今盛んにヘリコプターの練習場みたいになつて、そのこと自体が、すでに学業に相当な悪影響を及ぼしており、なお訓練とか、そういつたようなものも次第に強化されて来ておるという状況で、あの環境の中において、学生はそれを耐え忍んで行けということは、私ども非常に無理ではないかというように思うわけであります。そうして又水産大学のような問題のときにも、我々を信頼して、お前らは騒ぐな、こう言つて来たのでございますが、あの環境の中に、今度は正式に学校の授業が始つて来た場合に、学生自身の心の中に、すでにもう若い者でございますから、当然にこれは癪にさわるということは当り前のことで、恐らく十日以後において学校当局は、学生の自制ということを期待して、今までの通りに自重しておれということを期待すること自体が、私は非常に困難ではないかと考えております。若しこれが学生の運動なり、そういう騒ぐことが起つて来て、そうしてこれでこの処置を、対策をするということは極めて不幸なことであつて、私どもはこういう状態にならないように、この教育を守るというのが、我々のやはり使命の一つだと思うのでございます。それでこれは勿論御承知で、福島長官よくおわかりと思いますが、関西方面における学生運動の状況というようなものから考えましても、不幸な状態が起らないとは私は誰も予測できないと思うのでございまして、このこと自体は、単に大阪市立大学が接収されておるということだけでなしに、すべての学生に対して、日本のすべての学生に対して、そういつた悪影響を及ぼす一つの大きな問題になるということを我々は恐れておるものでございます。我々は、これはまあ理窟になりますけれども、我々が守つて行かなければならんものを、ここで逆な意味にこの問題が作用して来るということは、極めて私は教育上のみならず、日本のためにも、又アメリカのためにも、とらないところではないかと思うのでございまして、こういう意味合いにおきまして、今いろいろ御折衝なさつておる状態は承わりました。併し来年の十月ではという問題は、恐らくこれはまだどうかもわからんという状態では、この学生が心から、病院施設が解除になつたから還つて来ると信じ込んでおつた状況から行きまして、なかなか信用ができないのじやないか、そうしますと、ここで何らか学生に対しまして確定的な、政府の責任で結構だと思いますが、におきまして、はつきりした明言をここでされる、そうしてそれに沿うような線が事実出て来ておるということを早急にやつて頂きまして、来月全学生が集つたときに、参りましたときに、何とかして耐え忍んで、我々はもう暫く辛抱するという気持ちにならして頂きますように、勿論真剣にやつて頂いておるのは、私ども十分わかりますけれども、こういう重大な時期に際会しておる、そうゆつくりした解決ではもう事は手遅れになる、こういう状況を十分御認識頂きまして、勿論認識して頂いておるとは思いますけれども、認識を新たにして頂きまして、十分何とか早急にそれが事実現われて来るように御努力頂きますように、文部、外務、調達庁の皆さんに特にお願いをしたいと思います。これに対しまして何か御意見がありますれば、福島長官、お聞かせ願いたいと思います。

○説明員(福島愼太郎君) 只今お示し頂きましたことは、誠に御尤もでございまして、私どももでき得るならば、九月に学生が再び学校に集つて来る前に、何とか具体的な線を出したいということで、施設特別委員会で協議を重ねておる次第でございまして、アメリカ側もそういう必要があるということにつきましては、必ずわかつてくれることだろうと思いますので、できるだけ早い機会に、学生のために少くとも、もう一年間ぐらい待たざるを得ない事態になりますと、その間の手直しとか、そういう問題も勿論いたさなければなりませんけれども、それにも増して基本的な見通しなり筋なりというものをはつきりさせる必要があるであろうということを痛感いたしておりますので、御趣旨に副えるように全力を尽したいと思います。

○説明員(秋山俊一郎君) 本件に関しましては、数日前当委員会の委員長から、委員会の決議書をお持ちになりまして、私のところへお話がございました。私は実は従来関係が違つておりましたので、そのとき初めて伺つたわけであります。併し先ほど高田さんからもお話がございましたように、水産大学の問題につきましては、相当に苦労して、学生の気持を何とか一刻も早く達成さしたいという気持で、お互いにいろいろ苦労したわけでありますが、これとてもなかなか思うようには進みませんので、ようやくとこの頃、来月あたり或いは再来月あたりから学生がぽつぽつ移り得るような状態にようやつとなつた次第であります。この問題はそれにも増して、今アメリカの海兵隊が入つておりますが、来年の十月には退く、恐らくはあけるだろうということを予想をしておりながら確たるところまで参つておりませんので、外務省といたしましても、できるだけ早くその十月の撤退されるという確約を取付けたい、こういうことで頻りに折衝を重ねておりますが、一方福島長官が先ほどから縷々述べられましたように、又それを政府でも当にしないわけではありませんけれども、それまでの過程といたしまして、できる限り現在の障害を少くするという意味におきまして折衝を重ねておるのであります。今後におきましてもこの問題は十原則の一つでありまして、一つ残つておる大きな支障でございますので、十分の努力をいたしまして御期待に副うように、できるだけ努力をいたしたいと存じております。どうかさように御了承願いたいと思います。

○説明員(赤城宗徳君) この問題につきましては当初の使用目的は変えないとは言いながら、事実上においては変つてもおりますし、又二十七年の八月十一日には一部解除にもなつておる、こういう次第でありますので、私ども直接アメリカ側との交渉の任には当つておりませんが、外務省、調達庁におきましても非常に熱意を持つて交渉を継続しておりますので、強くこれの解決を期待しておるわけであります。特に今劔木さんや高田さんからもお話がありましたように、この問題は単に学校の接収解除という問題だけでなく、学生の思想問題、或いは又学生の思想問題を通じて日米関係の親善等に対しても非常に影響がある問題でありまして、文部省といたしましても非常に憂慮しておるのでありますので、繰返し申上げますが、面接交渉の任には当りませんが、外務省、調達庁と緊密に、連絡をとり、又外務省、調達庁の強い交渉に期待して一日も早く解決を図りたい、こういうふうに考えておりますので御了承願いたいと思います。

○委員長(堀末治君) 本問題については本日のところ、この辺で打切りたいと思いますが……。

○荒木正三郎君 質問は一応これで打切つてもいいと思いますが、文部委員会として今後どういうふうに努力するかという点について協議してもらいたいと思います。

○委員長(堀末治君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
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